大阪御堂合唱団について

合唱団の成り立ち

「大阪御堂合唱団」は1962(昭和37)年11月7日、大谷大学男声合唱団のOBを中心に設立した混声合唱団で、仏教讃歌の普及と大成を目的に誕生いたしました。

現在、仏教讃歌をはじめ、邦人組曲や世界各地の合唱曲など幅広いジャンルの曲も取り入れて、精力的に活動しています。

合唱団が設立された1962年は、難波別院(南御堂)が戦災からの復興を遂げた翌年でありました。この前年には、真宗本廟(東本願寺)で宗祖親鸞聖人700回御遠忌が勤まり、大阪教区でも1964(昭和39)年、御遠忌に向けての準備が着々と進行していました。

この頃は、真宗大谷派の宗門はもちろん、日本全体が戦後復興の波にのりつつあり、大阪の街にも徐々に活気が満ち始めた時代だったのです。当時は、歌声喫茶なども流行しており、歌に喜びを求める市民の気持ちが高まっていたことも背景にあるのだと考えられます


団の結成

 合唱団結成のきっかけとなったのは、1972年の難波別院(南御堂)落慶法要本堂の再建を祝う法要でした。

 『難波別院史』によれば、復興後間もない別院や御堂会館のお披露目には、ぜひ現代的な音楽法要を取り入れたいという願いがあり、大阪教区内から候補を募って準備を進めたそうです。

 ところが団員が経験不足のため、最終的に外から応援を頼むことで法要の体裁を保つこととなりました。これを縁に独自の合唱団を設立したいという流れとなり、特別指揮者兼顧問に作曲家の故・清水脩氏を迎え、メンバーを整えて練習を行ったのが大阪御堂合唱団のはじまりといわれます。

 その後は練習を重ねるごとに続々と申込者は増え続け、一時は300名を超える大所帯となったそうです。


特徴と近年の活動

 結成時に作曲家の清水氏を迎えたことで、多くのオリジナル曲(委嘱作品)を持つことも当団の特徴です。

 1963(昭和38)年に行われた第1回の演奏会を祝して清水氏が作曲した『弥陀の名号となえつつ』のほか、蓮如上人500回御遠忌記念で作曲した『蓮如抄』(作曲/木村雅信)創立40周年を記念した『交声曲 花こぶし−恵信尼消息をもとに−』、また『宗祖を憶ふ(作詞:金子大榮師)』(作曲/安谷屋武人)などがあり、1980年代には『佛教讃歌』(法要編・讃歌編)の楽譜を編纂・発行しています。

 現在では、難波別院(南御堂)報恩講期間中(例年10月25日~28日)に仏教讃歌の演奏会をはじめ、大阪市内の各種コンサートホールでの定期演奏会や、大阪府合唱連盟の演奏会参加、真宗本廟(東本願寺)の活動協力など、幅広く活動しています。

大阪御堂合唱団では、指揮者の和田裕之氏・ヴォイストレーナーの北端盛子氏・ピアニストの竹中敦子氏を迎え、練習と演奏会を行います。

指揮者

和田裕之

(わだ・ひろゆき)

 1959(昭和34)年大阪府生まれ。1983(昭和58)年、大谷大学文学部真宗学部卒業。1987(昭和62)年、大阪音楽大学短期大学卒業。声楽を小西一郎、ピアノを山岡和子の両氏に師事。大阪府立布施高校音楽部で学生指揮者となり、以後、指揮活動に携わる。高校卒業後、布施混声合唱団に入団。1981(昭和56)年より指揮者となり、これまでに合唱連盟主催の関西合唱コンクールで金賞をはじめ多数授賞し、全国大会にも3度出場した。現在、布施混声合唱団指揮者、大阪教区第17組恩教寺住職、東大阪市教育委員会学校園課題対策相談員

ヴォイストレーナー

北端盛子

(きたばた・じょうこ)

 東大谷高校コーラス部で合唱を始め、仏教讃歌に出会う。同高校音楽科教諭であり、大阪御堂合唱団の常任指揮者であった小林弘正氏に声楽を師事。大谷女子大学(現/大阪大谷大学)文学部国文学科入学と同時に大阪御堂合唱団に入団し、2016年7月まで団員として在籍。1995(平成7)年頃から真宗大谷派の各寺院で仏教讃歌を指導し始め、真宗大谷派合唱連盟の行事にも積極的に参加し続けている。真宗大谷派合唱連盟常任委員。

ピアニスト

竹中敦子

(たけなか・あつこ)

 大阪音楽大学卒業、同大学専攻科修了。これまでにソロやアンサンブル、伴奏で数々の演奏会に出演。当団の他にPiano・ピアーノ、阪神センター合唱団の伴奏ピアニストを務める。中野美子、武谷安子、武岡登士子の各氏に師事。山野楽器音楽教室ピアノ講師。大阪健康福祉短期大学、常磐会短期大学兼任講師。